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政策提言

横浜市の阿部副市長を訪問

 先週末の金曜日、横浜市の阿部副市長を訪問しました。
阿部副市長は、横浜市の環境モデル都市の頭。元総務省、自治省出身の方で、自治体連合のまとめ役で、地方分権を推進している方らしい。
午後1時〜3時と2時間も面談予定が組まれていて、偉い人との面談って大概30分とか慌ただしく、いつも猛ダッシュで喋って話半分という感じだから、この予定は異例で、出かける道すがら「うちの秘書、何か間違っているんじゃないか...」と疑っていったのだけど、終わってみたら3時で、本当に2時間。長話をしました。
途中、お忙しいようで中座もされたのだけど、このくらい時間をとってもらうと色々と話ができて充実します。
 目的は、来年度のエコフロー事業をぜひ横浜市でもと事業の詳細を説明にいったのだけど、ついつい、目下の懸案事項、今、進めている自治体用の温暖化対策の実行計画マニュアルづくりの検討会での私の見解を話題にしてしまいました。

 横浜市の環境モデル都市のアドバイザーになって、色々、問題が見えてきて、個々の自治体の現状の二酸化炭素の発生データを数字としてどこも把握できていないとか、目標計画を立てるのに、現状も推計値で、削減後も推計値で、本当に減らしたのか、実は良くわからない状態であるとか、そのため、削減するインセンティブを得にくいとか、市民に削減協力を訴えにくいとか、そんな基本的なことが出来ていないんだと呆れる実態であることを知ったのでした。
 このアドバイザーは、マニュアルづくり検討会に大変役立つ結果となり、エコフロー事業でも地方行政の実態をかいま見る機会となってはいましたが、横浜市のアドバイザーは環境行政の奮闘ぶりを内側から見る機会をいただいたみたいで、良い経験となっています。
 こういう経験すると思うのは、地方行政の実態と国政の乖離を感じることです。
地方自治体が、地方分権と叫びたくなるのは、地方行政は国政に振り回されて余計な神経、余計なエネルギーを使わされていて、利口な自治体はもっと信用してもらって、もっと自由に金も時間も人も使いたいのが実感だろうとつくづく思います。
阿部副市長も、この国は本当の民主主義じゃない。とぼやくように、何か不思議な仕組みで政が行われているということには共感します。
まあ、だからといって、単純に地方分権を強行するのも、自治体の収入の格差もあるし、人材や知恵の格差もあって、今まで何も考えてこなかった人達までに急に自立して考えろといっても、無理な話ではあります。少しづつウォーミングアップしていくのに、実は温暖化対策は良いツールなのではないかと思っているのです。

 副市長にもウケたのですが、私はこのところ自治体間CDMを先ず行うべきだと主張してます。自治体に自ら話し合ってキャップを決めてもらって、森林吸収源と二酸化炭素発生量を相殺して、目標達成しなかったところが国に炭素税を納税し、海外からのカーボンオフセットのためのCDM取引をしてもらうという構図が一番順当ではないかと思っているのです。ですから、それには国が直接炭素税を取らず、それぞれの自治体が地元の状況に合わせて炭素税をつくることが出来るようにして、それぞれで、料率も使途目的も決めることが出来て、炭素税をかけないという選択もできるようにして、地域性に即した取り方、対策への使い方を自分たちで決めれるようにするのです。
それでもオーバーした分については、自治体が炭素税で取った部分の一部を国に納税するという流れで行っていけば、地方行政にも知恵がついてくるのではないかと思っているのです。

 今、環境省は炭素税を実現させたくて躍起になっていますが、相変わらず、経団連の強面方々に抵抗され、このまま、実現できてもあまり効果のない骨抜き状態になって、意味がないのではないかと思っていますし、国が徴収するとなると、結局、地方へ配る際の利権が生じるわけだし、国に陳情して、モデル事業とか交付金だとか、何とかお金をゲットしたところは良いけど、そういうのが得意でないところは、炭素税が始まっても対策費の恩恵は受けない状況になるのではないかと思われます。何よりも、今みたいに陳情に人を割き、補助金や交付金の情報に耳を峙て、そこへ注ぐエネルギーがあったら実を取る活動の方へエネルギーを注いで、少しでも対策を進めることが人材を有効に使う意味でも効率的ではないかと思います。

故に、炭素税は地方の徴収する税金とすべきと思っているのです。

それと、二酸化炭素のカウントですが、私は納税地で行うべきだと思ています。そうなると工場は地方にあっても、本店が東京で納税地が東京なら二酸化炭素のカウントは東京になる。これは自治体にとって正当なカウント方式だと思います。納税を受けているからこそ、その納税事業者の事業に関わる二酸化炭素の発生に自治体も責任を取らなければならないというロジックは納得いくと思います。
先ず、納税地で二酸化炭素を振り分け、森林の吸収源も納税地につけます。全体を目標値の振り分けでキャップをかけ、自治体間でCDM取引をおこなう。二酸化炭素の利害関係で道州制を組むのもありだと思います。こうすれば、緑豊かな自治体はそれを保全することで、都市と連携や道州制を組み、カーボンオフセットしてあげる。これで、過疎地は自然環境を資産に都市から福祉など行う金銭を得ることになるやも知れない。それは、自治体にとって大変プライドを持てる自立。本当の地方の分権化となるのではないでしょうか。

そんな話に、副市長と盛り上がり、出来れば自治体で意識をまとめ、仕組みを考案して自治体から国にこうして欲しいと提案することが、民主主義らしい。ぜひとも頑張って地方から発信していただきたいとお願いしてきました。

CDMがうまくいくのは、キャップをちゃんとかけられて成り立つものですから、産業セクター別のキャップのかけ方は、企業の利害が対立しすぎて、うまく定めることは今の日本では出来ないのではないかと思います。それなら、自治体という行政間でキャップをかけることにすれば、自治体チャップが必ずしも炭素税となるわけではないので、産業はそれに関して口を挟むことはできませんでしょ。自治体の枠が決まったら、地元企業として、それぞれは隣人として顔の見える関係だから、勝手なことはいえないし、企業によっては積極的に地元の森林保全に投資してくれるかも知れない。地元ならと炭素税を納税してくれるかも知れない。
 私は炭素税はずっと賛成なのだけど、それはヨーロッパにような大胆な発想でしっかり周辺の仕組みまで作り上げて、効果がある場合であって、日本の提案のような骨抜きで生温い損益分岐点を下回る炭素税を実現してみたって、そんなの環境省の役人がトラウマ解消のために仕事した気になっているだけのことで、地球にとっては実がない。今のまま、国と経団連、セクター別なんて、個々の顔の見えない関係で言い争ってみたって、先に進まない。そろそろ作戦変更した方が良いのではと私は思います。

ecoうちecoまちアカデミーの第2回目開催

ecoうちまち2回.JPG昨日、『ecoうちecoまちアカデミー』の2回目を開催しました。
今回のテーマは"循環型建築"。今回から有料ということでぐっと人数が少なくなったのですが、それゆえに円卓型の座席にして講義っぽくなく、審議会のようなスタイルで、アットホームに行いました。

今回のプログラムは、
・高見幸子氏(国際NGOナチュラルステップインターナショナル日本支部代表)
 「スウェーデンの循環型建築のモデルと試み」
・坂本勉(国土交通省 住宅生産課長)
 「循環型社会における建築について」
・鎌田隆英(有限会社 鎌田建築研究所 代表取締役)
・ 堤恵美子(株式会社 タケエイ 上席顧問)
 「建築廃棄物の現状と資源循環型建築」
海外の事例紹介と、国土交通省の今今の政策、あんまり目を向けてこなかった建築廃棄物の現状の話しの3本だてで行いました。

たまたま、日本に帰国中の高見さんのスウェーデンの実例話を聞けて、大変得した気分でした。
ストックホルムのハンマービーの取組みの話しで、荒れて環境の悪かった町工場地域を再開発してエコタウンにした実例で、世界一環境に優しいオリンピックをコンセプトに競技場と選手村を作ろうとした場所だったが、招致できなかったのだけど、環境をコンセプトにまちづくりをしたということでした。
何か、もうじき東京でもありそうな話しです。
広大な保護樹林に隣接し、海に浮かぶ小島。土壌汚染を改良し、そこへ住宅地を設けた例です。『環境負荷を半分にする』をコンセプトに以下に取り組み、
・ 土地利用
・ 土壌汚染
・ エネルギー
・ 上水と下水
・ ゴミ
・ 建築素材
・ 交通
・ 騒音
・ 緑
10000戸の住宅と25000人が居住し、10000人が働く街を作ったわけです。
交通は公共交通を中心とし、路面電車(LRT)を中心に、カーシェアリング、無料のローカルフェリーや自転車利用をしやすい街のつくり、資源となる素材で健康にも環境にも良い建築、トップランナーの家電のビルトイン。丈夫で朽ちない上下水管、資源循環を考えた街のインフラ。低炭素社会づくりという点では、日本でも掲げられるキーワードで創られているわけです。しかしながら、日本と違って、それは格好良く、あらゆる点で上手くいっていて、10年経った現在、買ったとき以上の額で転売できる資産となっているといいます。
ゴミ焼却場は、地域熱供給所となっており、下水処理場はバイオガス製造所であり、1000世帯の住宅にバイオガスを供給し、公営バスの燃料を補給している。日本より寒い地域にも関わらず、住宅には太陽温水器が美しく並び、窓には太陽光発電が付いていて日射を和らげている。街全体が掃除機のようになっていて、資源ゴミを自動的に収集し、ゴミ収集車の騒音と排気ガス、街への侵入がなくてもマテリアル回収できるようになっている。下水排水から熱を取り、その反対に生まれた冷熱をホテル等の冷蔵庫へ供給している。隣接する森と、保存した林の間に大きな緑地の獣ブリッジを高速道路上に渡し、自然生物の自由往来を容易にし、生物多様性のある環境を都市の中に創っている。橋等の構造物のマテリアルも高額でも長い目で見て丈夫で長持ちする素材を選んでいる。そして、そんな街の中に、地域住民に対する環境教育の場として、"環境インフォメーションセンター"を設置し、継続的な住民教育を行っている。世界中から評価を受けたという納得の美しさと取組み。
7月に事務所で行った勉強会でドイツのヴォーバーンの取組みも聞き、溜息がでましたが、本当にヨーロッパのこの感覚は羨ましいとしか言いようがない。理論がしっかりしていて、美学を持っている。時間軸でものを考えて行動している。それに比べ日本は、二言目には目先のことに捕われ、予算がない。強制するわけにはいかない。できることから。とかいって、できる程度のことしか考えない。この国民性というか、行政感覚。この感覚が、低炭素社会づくりには前途多難の大要因なのです。何といっても、物事の進め方が大間違い。先ず物ありきで事を進める流れ。ヨーロッパなどの白人圏と日本の大きな違いがそこです。本来は、情報を集めて咀嚼して、考えて研究(学ぶ)し、検討(考える)する。その上で理想を描いて、方向を試行錯誤(バックキャスティング)して、それで合意(設計)して、物化(実施)する。物にするまでに充分考慮する事が、良い物づくりに大事なところなのに、日本では単年度予算で物ありきの時間設定をする。そのため、思慮に欠けた計画となり、他の物事との帳尻も合わない、整合性もない、てんでバラバラで醜くて、上手くいかないということになる。ソフト(計画立案)に金をかけないし、プロの知恵を深く活用しようとしない、結果として安く済んでも安かろう悪かろうとなっているのだけど、クオリティ評価という目利きじゃないから、現実をわからない。これが本当の税金の無駄遣いだと思うのだけど、今の日本の議論は今日の1円なのだから、貧すれば鈍するとは良くいったものです。

その後の国土交通省住宅局の政策を聞きました。住宅局の政策、私の提言した内容も含まれていてキーワードは間違っていないのだけど、根本的なロジックが、それじゃ国民は認知しないし、知られないシステムでは市場は動かないし、形成されない。悔しいくらいあ〜あで「絶対うまくいかない!」と断言したくなるというかしてしまいました。
「1億人の国民を動かすための法律を考えなければならないから、小さな国のようにはいかないのだ」と答えてしまう官僚思考が、そもそも問題がわかっていないとしか言いようがありません。小国であろうが大国であろうが、人1人の心理は変わらないのです。先ずは一人の心理をちゃんと理解すること。それから。
認知できる人数規模でブロック化して考えていけば、スケールは同じなのです。後は、ある程度の小国の対応と何ら変わりません。スウェーデンの取組みは一つの市が行ったこと。日本も市単位で取り組めれば同じです。それをどうレベル高く誘導するかが国の政策のつくり方であって、国の官僚が1億人の国民を自力で制圧しようなんて、おこがましい発想なのです。少なくとも全国共通適用の建築基準法の在り方は、もう古いと思います。先ずは都市計画ありき、そして地区計画。ただ、今のようないい加減な町会の素人集めてお茶濁してセンスのない役所の職員が決めてしまうようなレベルのものではなく、ちゃんとプロを基盤として幅広い知見を集約して総合的に計画した地区計画によって、建築基準法をどのように適用するかも、そのエリアマネージメントとして決め、まちづくりを地域合意で行っていくことが、これからの低炭素社会に資するまちづくりの必要不可欠な方法だと思います。昨日の勉強会でも、スウェーデンのストックホルム市の職員が東京電力に1年研修に来て、地域熱供給の技術等勉強して帰った時期から数えればハンマービーの取組みは日本での学習の結果だと思われると東京電力の人が発言し、高見さんは「確かに、地域熱供給のヒートポンプは日本製でした。」と答えていました。日本には優れた技術はあるのだけど、それが普及していかないのは、この国の総合力のなさによるものではないかと思いました。
環境モデル都市が選定され、今、6都市が具体的なロードマップを作成しているところですが、それについて国から1銭のお金も出ておらず、著名な学者先生が乗りかかった船とか、郷土愛にほだされてボランティアでコンサルティングをしているような現状なのです。知財の軽視というか、この国の、人の中にある能力の軽視を物語っているように思います。具体的な整備には優先的に補助金を付けてくれるのだというのですが、大事なのは先ず、効果的なハードを選定するための知恵を買うことではないのですか???です。私も横浜市のアドバイザーを引き受けていますが、もっとじっくり落ち着いて、職員の方々にも勉強してもらって、それから広く深く議論し、検討したいと思うのですが、何たって内閣官房の方からは、10月までの具体的な数字を出すようにせかされており、金も出さなきゃ、時間も与えられないのだから、酷い話しです。
それに加えて酷いのは、横浜市が2025年、CO2の30%減を掲げても、そもそも東京電力から横浜市の電力使用量の情報開示をしてもらえないのですから、現状把握も、アクションして削減しても、正確な数字の掌握ができないのですから、お粗末です。国が音頭とって、モデル都市の選定をしたのですから、いくら何でも、公益性に必要な情報開示をさせるくらいのことはしてあげれば良いのにと思います。何を守りたくて東京電力は行政に対してまで情報開示を拒むのか、その心理が理解できませんが、ネガティブな国民気質が、企業には深く染みていて、未来のために自分たちにできることは率先して協力しあっていこうという意識になれないのでしょうか?
わざわざ、『公益情報公開法』の制定なんてしなきゃならないなんて、寂しいことです。CSRの意味もわかっていないのかしら?あんまりに無責任体質なんではないかと思ってしまいます。

街頭応援演説

明日、9月16日の夜、午後7時頃から新宿西口前の街宣車の上で、小池さんの応援スピーチをと、環境ビジネスウィメンの崎田代表理事から要請の電話が。
支持政党云々関係なく、小池さんを総理大臣にして、この親父社会の日本を『チェンジ』しなくちゃなのだけど、街宣車の上でスピーチなんて恥ずかしいよ〜!誰も貴女なんか見てない、見ているのは小池さんだと思っても、やっぱり恥ずかしいね。選挙を見るたび、議員さんって凄いよな、あんなにしてまで人に尽くさなくても‥と思ってしまう。信念が強いんですね。

まあ、このまま解散総選挙となりそうなので、総裁選のその先の衆議院選を小池さんには頑張って貰わなきゃならないので、恥ずかしいのを我慢して応援しますです。
個人的には総理になって貰いたい反面、このまま総理になられて総理官邸に入られちゃうと、私の設計している「究極のエコハウス」は主なき館として始まるの?と寂しい気分ではあります。

そんな個人的なことは置いといて、このねじれ国会は健全ではないから早く白黒つけて、国として駆動させないと国際的な笑い者ですよ。
国の仕事を受ける前は、中身をリアルに知ることもないから、あんまり国会や政府のことなんて真剣に考えてはいなかったけど、火事の被害にあって、法律って何?政策って何?と凄く感じるようになって、審議委員にもなって、近年、仕事もプライベートも永田町、霞ヶ関に関わりが深くなっちゃったから、色々、考えることも多くなりました。

まず、マスコミと現場の乖離が大きいように思います。各新聞でどのような扱いがされているかは知りませんが、テレビの報道を観る限りでは、どこも似たりよったりでかなり偏見して報道している感じは否めません。

ねじれ国会の報道はされても、民主党の審議拒否の有り様は議会制民主主義を否定しているくらい国を司る国会議員として、情けないほど稚拙な権力闘争を繰り返していることは報道されていません。与党だけが悪いわけじゃない。話し合いをしないで国を停滞させていた現況は彼らだってことなど国民には、正しく知らされていない!ではないですか。
本来、ねじれた状態なら意見を受け入れさせる絶好の時なのですが、この国は、ころころと総理大臣を変えることができる、簡単に解散総選挙ができる仕組みとなっているため、単なる政党の利益が優先され、本来、国民のために政策を議論する国会の審議の場を権力闘争のリングと勘違いして、議論しないで権力の棒を振り回して暴れ回っているだけ。そんなの大人じゃない!テレビに出て、正当性を主張し、さも与党になれば、パラダイスを築くような聴衆ウケの良い演説を繰り返してますが、こんな真摯じゃない人達に何ができるのか?と思うのが正直な気持ちです。

リベラルな私としては、民主党の菅さんとか女性問題なんてどうでもいいじゃんと思うくらいのファンだったけど、今の情けない民主党の行動をみてがっかりです。
党首の小沢さんが、いつだか突然辞めるといいだしたのも、真の理由は大連立どうのこうのじゃなくて、大人げない党の姿勢に憤慨してのことでしょう。
まあ、どっちもどっちの行動だったので、まあまあまあで飲み込まれてしまったようですが、やっぱり大人げない政治はいただけません。当時、報道は大連立話ばかりで、真意が何だったのか薄まってしまい、民主党の姿勢を正すことにはなりませんでした。

◆日本人はネガティブで心が狭い
誰が手柄とっただとか、そんなことどうでも良いではありませんか。この国が良くなり、国民が幸せを感じてくれれば、それは与党でも野党でもどっちでも良い。それぞれの立場でアイデアを出し合い、中身を精査して、議論して、より良くして、世に出す。実となれば、政治家としての役目を全うしたことでしょう。政策より政権を争うとは情けない政治家たちです。白人圏だったら、こういうことってないのだろうなあと思ってしまいます。
国民も上の空なのが、そんなことを許してしまうこの国の現実なのでしょうけど。

次の選挙の結果がどうあれ、総理の任期を長く固定する制度に変えない限り、このような情けない状況は繰り返されるように思います。
「争いごとはやめて、ちゃんと仕事しようよ。」といいたいです。

そんなことは街宣車の上では、絶対に言えませんが。(笑)

循環型社会

建築リサイクル法が改正されます。
建築を廃棄する際、分別回収を行い、資源として再利用する。大変重要なことです。循環型社会の実現のためには3Rの考え方をもっと定着させていく必要があります。そういう点でいえば、建築リサイクル法は環境時代らしい画期的な法律だと思います。しかし、もう一歩踏み込んで循環型社会を考えたら、もっと広い視点や現実の問題を合わせて考えなればならないように思います。

現在、小池邸の「究極のエコハウス」に採用する建材の選定をしています。グリーン購入の観点から、リサイクル素材を活用するというのもエコハウスのコンセプトとしてあります。しかしながら、住宅は環境という視点だけではなく住人の健康が大前提ですから、シックハウスに対する対策は絶対と考えています。そういう点ではリサイクル建材の採用は少し慎重にならざるを得ません。

先日も溶融スラグ入りコンクリートの問題が報道されていました。『廃棄物を資源化する』という考え方は大事ですが、溶融スラグになる前に廃棄物がどのような物質で、それが確実に安全な物だけが建材化できる仕組みが確立されているのか、含まれる物質が短期的だけでなく長期的に人体にどのような影響を与えるのか全てを把握してからでないと、建築という寿命の長い構造物へ採用することは大き過ぎるリスク背負うことになると思われます。建築は人間が長時間関わり、都市の防災に関しても重要で、国民の健康も経済もそこに委ねている母体ともいえる存在ですから。
どうも、今の法律の建て付けはかなり甘いように思われます。短期的な力学試験による構造上支障がないことが、そのまま長期的な材質の経年変化に対しても構造上支障がないということには繋がりませんし、建築構造のお偉い教授が「建築材料として支障がない」と発言しても、それは人間の健康などの衛生面についてまで保証するものではありません。なのに、所管する部位の問題がないからと安易に大臣認定を出してしまうことで、消費者は全てのことに国が大丈夫のお墨付きを出したと誤解してしまいます。
このような議論をすると、消費者が誤解することが悪いという役人がいますが、政策を司るプロならば、その誤解の生じる現象を理解した上でどのような流れが起きてしまうか想定して法律をつくるべきだと思います。むしろ、そのような人間の認知力をうまく使って、良い流れをつくっていく法律をつくるのが行政マンやそれを支援している有識者の腕の見せどころではないかと思っています。
国土交通省では、溶融スラグの活用を強く押す著名大学教授の影響もあって、溶融スラグを建築構造材に用いること大臣認定しようという方向で前向きに検討されているようですが、何かこの構図に、薬害エイズ事件を思い出してしまうのは私だけでしょうか?
くしくも、この溶融スラグの建材利用について、問題提起をしているのは薬害エイズの被害者であるの川田龍平参議院議員。溶融スラグに六価クロムなど有害物質が含まれる物があると訴えていました。
溶融スラグの原材料はゴミの焼却灰。出元がはっきりしていてゴミが限定されているなら別ですが、家庭ゴミといえども不特定多数の方が無作為に出してくるゴミですから何が含まれているのか、わからないといえるでしょう。
溶融スラグは厄介者の焼却灰を再生させる画期的な発明ではあるのだけれど、確実なる安全性を担保するには、「事故米事件」のように企業のモラル頼りだけのシステムには限界があります。農水省と国土交通省もそう変わらないところです。もっと、慎重に建築業界関係者だけでない有識者の調査を行った上で、問題が極めて生じにくい新たなシステムを構築した上でないと大臣認定をすべきではないと私は思います。

◆ヒ素ボードの現実をどう考える?
同様な話で、木質系の建築リサイクル素材が怪しいという噂を耳にしました。
持ち込まれたデータは、マンションなどの床下地によく使われ、一般的に大量に流通しているパーティクルボードのものでした。工事現場に納入された物を適当にサンプリングして成分を調べたというもので、その中には、あの森永ヒ素ミルク事件で有名な「ヒ素」が含まれていました。量の安全性云々はともかく、他の成分も観ると、これは建築リサイクル法では、除去を定めている防蟻処理土台などが確実に含まれていることを意味しているものでした。
そのため、単純に"リサイクル素材=環境に良い"にはならない懸念を感じ、建材のMSDSを確認するだけではなく、その中に含まれている素材の流通過程で関係してきたと考えられる化学物質についても調査をすることにしました。
まず、建築木材廃材の安全性の問いに対して、メーカーから送られてきた書類はA4の紙に二行、「材料については、解体現場にて適切な分別をおこなっております。」と書いてあるだけで、その分別を保証する根拠のあるものは何もありませんでした。

木質建材業界関係者の間では、この禁止部位が含まれていることはかなり知られたことのようです。既に、環境省と国土交通省の間で、対策についての協議も行われて来たようです。それに伴っての建築リサイクル法の改正と思われます。しかし、今回の建築リサイクル法の改正でもこれという画期的な対策案ではないようです。

建材業界関係者に「なぜ、禁止部位が含まれるのか?」と聞いたところ、特に大きな要因として、地球温暖化対策の広がりによって建築物の木材廃材の需要が伸びていることが指摘されました。CO2対策のために、石炭火力発電所がCO2フリーとなる木材廃材に燃料をシフトしてきていること、木材からエタノールをつくるプラントの建設が進んできたため、エタノール工場の木材廃材の需要も伸びていることで、木材廃材の需要が多く、供給者が禁止部位まで商売道具にしてしまう状況のようです。
建築リサイクル法の改正内容は、まだ審議会を通ったばかりでこれからパブコメ。まだ、詳細までは把握していませんが、木材廃材の建材への再利用を禁止することはないようです。私としては、木材廃材は建材素材に再使用すべきではないと考えます。
解体現場での分別強化を謳ったとしても、それはあまりに非現実的なことと建築関係者なら誰でもわかると思います。解体現場は汚れ仕事。多くの日雇い労務者がその仕事に従事しています。最近もあまり変わってはいまいでしょう、東京なら山谷地区などでホームレスの方々が朝、その日の仕事を与えられ、車に乗せられ解体現場に連れて行かれます。安い賃金で、その日払い。そんな人達に責任をもって分別しろというのも酷な話です。建築基準法では土台上1mを防蟻処理となっていますが、その後、シロアリが出たといって処理をする場合、2階の床下(1階の天井裏)や屋根裏まで、薬剤処理をするケースも少なくありません。その場合、見た目にもわからず、解体現場の労務者が分別することは不可能だと思われます。
近年人体に悪い影響があると禁止された薬物を使用していたものが、今、大量に解体される時期になっています。食の安全が叫ばれているように、住の安全もまったく同様の問題だと思われます。確実なる安全性を考えたら、建築木材廃材の建材へのリサイクルは止めるべきと思います。
循環型社会として、建築木材として新築→解体して資源化→建材として再生させ建築へ戻す。確かに循環しているように思います。

◆木材廃材の建材への再利用を禁止すれば日本の山は救われる!
しかし、もっと広く観るとこのリサイクル法が本当の循環システムの障害になっていることに気がつきます。建築の木材廃材は1立米が5〜10円程度で流通されています。解体費用で利益を得ていますからタダでも良いくらいなのです。一方、構造材などには使えないが新建材として使えるレベルのバージン木材は、輸入材でも1立米が10,000〜13,000円します。桁が違うため、廃材を求める建材業者が多いわけです。素材が廃材かバージン材かで1枚のボードの価格は500円以上違ってしまうのですし、リサイクル品のラベルでグリーン購入という売り文句も付けられるわけですから、分別解体がちゃんとできていないことを把握していても自分の責任範疇ではないし、知らなかったことにしてしまうのも人の情のように思われます。

日本の場合、このようなことが公になって問題視されると、報道で名前のあがったところを見せしめのように罰し、一つの企業ないし個人を斬り捨て、悪は絶ったとばかりに問題を単純解決してしまいます。せいぜい、効き目のなさそうな罰則が強化されるくらいです。それは多くの場合、根本的な解決になっていません。一人を罰しても、システムが悪ければ、また類似の状況は発生します。その時はもっと悪賢く行われ、問題は深く複雑になります。

薬物汚染木材とそうでない木材を見分ける機械は作られていますが、本当の意味での循環型社会を考えた場合、現場での木材の分別回収は不可能と考え、建築木材廃材の建材への再生は禁止し、木材廃材は全てバイオマス。エタノール化か、火力発電へのリサイクルするのが良いと思います。エタノールプラントではバクテリアを殺してしまうような材料は受け入れられませんから、工場内で問題部位は除去されるでしょう。火力発電所であれば、排煙の規制がありますから、発電所として稼働させるためにはそれを守るでしょう。そのため、いずれの事業者も「ちゃんとする」インセンティブが働きます。
しかし建材メーカーは大量にいて、知らん顔で売って儲けた者勝ちですから、これを統治することは現実として不可能でしょう。であるなら、彼らに怪しい材料は与えないというのが何よりも問題の発生を抑制する順当な政策であると考えます。

一方で、環境問題として森林保全が叫ばれています。間伐材の利用が伸びないためにCO2を吸収する健全な森林維持ができなくなっています。
木質建材の材料はすべてをバージン木材と規制することで、現在、廃材を利用している木質建材が国内の間伐材利用にシフトすれば、かなりの間伐材需要となります。輸入バージン木材についている1立米が10,000〜13,000円が国内の間伐材の価格として流通できれば、それなりのビジネスが成立すると思われます。
消費者の環境意識も高まっているのですから、海外からの重油をかけて運んできた木材より、国内の間伐材利用の方がウケると思われますし、重油の高騰から輸入木材の価格が上がっており、日本の木材を求めたいというメーカーの声も聞かれます。

現状は、リサイクルの名の下に小さ過ぎる循環システムが、大きな環境の循環システムの支障となっているようです。もう一度、広い視点で循環型社会とは何なのか、国土交通省も考えた方が良さそうです。

森林の間伐材→建材化→建築→解体→サーマルリサイクル
①→エタノール化→E100で自動車のCO2発生を削減
②→火力発電で電気化→電気のCO2原単位を削減

①も②もCO2削減の重要な要素です。
建材市場と取り合わず、1立米10円の建築木材廃材をサーマルリサイクル専用として安定供給すれば、燃料費、電気代は高騰しないわけです。
住宅を購入する人々から、間伐材建材を通じて1立米10,000〜13,000円を森林保全費用として負担してもらって山に送るわけです。建設工事における建材の金額は全体からしたら大したことがないわけですから、その一部が増えても、大きな支障を来すことではないでしょう。廃材によるシックハウスのリスクもないわけですし。
一つの政策が循環型の仕組みを促し、森林保全によるCO2削減と回り回ってのCO2を促進する。まず何よりも国民の生命に関わる被害の発生するリスクを最小限にとどめる。行政が行うべき大前提のように思います。

小池邸で使う建材については、ただ今、化学物質分析調査中。結果は後日。

福田総理辞職

昨夜の突然の総理大臣の辞職。小池さんも忙しくなって家どころではないのでは?なんて、周囲から心配してくれる声があったり。
多分忙しく動かれているのではないかと想像しますが、それはそれ、これはこれでしょう。
それよりも、このタイミングで辞職とは。マスコミは安倍前総理と比較し、自民党への失望感を煽り立てています。そうなることは、ご本人、百も承知の上での判断なのでしょうが、民主党に離党者が出たり、無選挙での党首継続など、イメージの良くない報道が目立ってきた、この時に何も相手の落ち度を目立たなくするような、こんな騒ぎを起こさなくても‥と思うばかりです。

日本の代表である総理大臣は、何か軽いですね。諸外国の大統領とは格が違いすぎます。海外からは、日本の総理大臣は一国の「最高責任者」と見られているのでしょうが、国内の政治家は「自民党の党首」としか見ていないように思えます。それは、自民党内の幹部も同じなのではないでしょうか?
対等すぎるし、ともすると内部では人によっては扱いが低いのでは?
国民の意識の方がまだ、海外の政治家同様「総理大臣=日本の最高責任者」と思っていると思います。なのに、政治の世界では総理大臣があまりに軽視されているように見えて仕方ありません。今回の辞職も、ご近所のオヤジ同士の痴話喧嘩なんじゃないの?なんて思ってしまいます。

福田「麻生!お前がそこまでいうなら、自分でやってみたらいい。すぐにでも変わってやるよ!」ぷいっ!

なんて感じで。総理大臣が簡単に変えられる日本のシステムが、こんな落ち着きのない政治となってしまう元凶ではないでしょうか。ころころ、大臣が変わり、政策の方向性もころころ変わられたら、官僚も「やってらんねえよな。また最初から説明しなきゃならないのかよ。レクのDVDでも作っといた方が良いんじゃないの?」なんて、嫌気がさすのも人情でしょう。
これじゃ、官僚も大臣に忠誠心を持てなくなってしまうし、政治家も政策にエネルギーを注ぐより、簡単に手に入るかもしれない大臣の席の争奪戦にエネルギーを注いでしまうのも仕方ないのでは?
私としては、日本もアメリカの大統領みたいに皆で選んで、4年なり5年なりの任期にして、駄目でも何でもそれなりの期間を与えて任せた方が良いと思っています。
そうすれば、野党もその間はあきらめて、その間に野党として何をするかを考え、成果の見える前向きな議論や提案をして、今みたいに議論も拒否の審議拒否なんて民主主義の手続きとはいえない態度はできないでしょう。政権奪還には今ちゃんと議論して存在を示し、次の布石にしていこうとすると思います。
特に日本の制度の問題点は、いつでも総理大臣を引きずり降ろせる故に、仲間内までが足を引っ張る。一国の最高責任者を、ご近所の喧しいオヤジ対策に多くのエネルギーを割かせている。こんな効率の悪い環境で仕事をさせている国は他にはあり得ないのではないでしょうか。
総理大臣といえども生身の人間ですから、大役を担うためには精神的に良い環境を与えてあげることが国民の利となるのではないかと思います。
一定任期が固定であれば、駄目な奴でも皆で選んで任せちゃった以上、仲間内は支える意識になるのではないでしょうか。官僚も政権が安定していれば、長期的な事業も、大胆な改革も落ち着いて実行できるというもの。

官僚方々を観ていて思うことは、売名行為のパフォーマンス政治家に右往左往させられて、やるべき仕事に力が注げていないように感じます。政治家の先生も、本人は善人の気持ちなのでしょうが、ちっとも国民の利になっていないことに気がつかないのでしょうね。それもこれも政治が落ち着いていない害ではないでしょうか。
この国のことを考えたら、重箱の隅を突いて誰かを責めることより、どうしたら、それぞれの役割を充分に果たすことができるのか、置かれる環境を少し冷静に考えた方が良いのではないでしょうか。人間は文句ばかりいわれて、充分な力を発揮できるのでしょうか?働きやすい環境づくりの必要性は偉い人もそうでない人も同じです。今、人間力で日本を良くしていくには、全てにおいて、その環境づくりを考えるべきように思います。福田総理の辞任のタイミングは世間的にはどうかと思います。しかし、彼なりの精一杯の配慮だったかも知れません。なんで、こんなことが立て続けに起こるのか、根本的な問題を論じていないような気がしてなりません。

国民金融公庫が民営化

国民金融公庫が「株式会社日本政策金融公庫」になるという葉書が来ました。
特殊法人改革の流れの中での、株式会社への移行なのでしょうか。長期的に観て色々なことが良くなるのであれば、多少荒っぽくても、一時の歪みがあっても改革を行う重要性はあります。駄目なものは根本的に悔い改めた方が良いと考えることもあります。そんな私が、最近の流れには些か疑問と躊躇感を抱くのですが。本当に個々の有り様を深く考えた上での、民営化なのか、国民ウケの良い公務員叩きの一貫としての特殊法人改革ではないのか、と。
公的金融機関の民営化。うちなど、民間金融機関からは、土地建物などの担保がない、親は金持ちではない、今、売上げがない、ないないづくしで金貸せない、と、いつもいつも厳しい回答ばかり。急成長すればしたで、昨年度の比率でしか貸せない急成長されても困るとかいわれて、身動き取れなくなったことも。全て、民営化したら超零細企業やベンチャーは苦しくなるのでは?

何でもかんでも民営化して大丈夫なのですかね?

先だって、民営化した電源開発のJ-Powerの株を海外投資家が大量購入しようとした件では、経済産業省があたふたしました。結果的には、鎖国時代みたいな解決方法で外国人NO!という変な結論になりましたが、民営化という自由経済市場の中に出すということを決めて、今更、市場へ出ている「株式会社」に対して政府が介入するというのは、あってはならない、おかしな話だと思います。本来ならJ-Powerを民営化する前に、自由経済市場というものがどのようなところなのかを考え、行動すべきであったと思います。そもそも国家として安全保障を考えた場合、エネルギーの持っていない日本がエネルギー開発を全面的に民間に委ねるということ、そのものがあまりに無防備ではないかと私は思いますし、それは、食料の自給率の低さを放置していることも、重症な「平和ボケ」ではないかと思うところです。
私の持論としては、環境問題、国家の今後の安全保障を考えたら、民間化してしまった全ての電力会社を国営に戻すべきだと思うのです。株式会社という民間企業なら利益を上げなければ株主は許しませんから、儲けなければならないのが定めです。それと環境問題として省エネルギー化していかなければならない政策とは相容れられないのは当たり前のことです。そのうえ、電気の自由化という、これまた大手電力会社の足を引っ張る政策をとっておいて、一民間企業としてしまった電力会社に電気の利用を減らしていくこと(減収)に協力しろというのは、電力会社の立場からすれば身勝手な話だと思います。その矛盾を解決する方法は、全株主が元本割れ良しとする収益より環境重視の投資家になってもらうしかないわけですから、国が全て株を持ち、国営化に戻すことが政策実現にはそれが一番!と思っています。そうすれば、自然エネルギーの買い取りを大幅にあげることも、石炭火力のセーブも、躊躇なくできるのに。
エネルギーを国がコントロールできないなんて、すごく危ういことと思う。原子力発電まで、顔の見えない人達が存在(人格が判らない)する自由経済市場に投げちゃうなんて、防衛省を民営化するくらい「何考えているの?」って思ったのが、J-Powerを民営化したことの私の率直な感想です。

GDPの10位は、幸せなのか?

日本の貿易黒字が86%減少とのこと。これをどう読むべきでしょうか。
車の輸出が落ち込むと黒字の大幅減?アメリカの景気に左右される?アジア経済の急成長の中、日本は何をしているのか?疑問を抱きます。車とアメリカ?前時代的なキーワード。健全経営ではないような印象を持ちます。

それを払拭するためでしょうか、福田総理が、現在の国民一人当たりのGDPを世界18位から10位にすると宣言しました。総理は高層ビルがお嫌いと聞き、好感を持っているのですが、そんな人がそんな雲を掴むような宣言、心ない高層化はよろしくない。自分なりの美学を通せば良いのにと同情してしまいます。
数値目標を掲げることは重要です。しかしながら、巷の人からは不幸感の愚痴を聞きます。愚痴る人々も世界のレベルでいえば充分幸せな部類だと思うのですが、何か「不幸感症候群」的な、冴えない気分が蔓延しているようにも感じます。いつだがどこかの途上国で、自分の国はGDPならぬ、GH(HAPPY)Pを世界一にすると宣言していたことがありました。金銭的な豊かさより、心の充足度を大事にしたいという指導者の意思表示だと思いますが、人の心というものは前提条件で感覚が大幅に違います。知らなければ幸せだったのに、知ってしまったために自分の現実が陳腐なものに感じてしまうことも現実として起こります。小学校へ行くのもままならない環境なら、小学校へ通えることに皆、幸せ感を感じます。行くのが当たり前になると、行かなきゃならないことに不幸感を感じる者も出てくるわけです。経済が豊かになると、生きてるだけでも幸せなんてことは無くなり、欲求が満たされないと生きていくことすら苦痛になったりもします。GDPのその先に求められる今の日本人のGHPとは何なのか、ちゃんと議論する必要があるかも知れませんね。

◆暑い街は都市計画公害です。
このところ、涼しく過ごしやすい気候となってきましたが、この数年、夏になると母は熱にやられて動けなくなるらしく、大変辛そうな状態になります。十数年前までは、家の前は空き地で全面の道路は3mしかない砂利道でした。それが環七の補助線として16m道路となり、空き地もアスファルト舗装の駐車場となってから毎夏、外気温は40℃近くにまでなります。昔はあばら屋でしたが、外部の環境が良かったので夏は窓を開放し、家の中央の畳に大の字になって心地よいそよ風の中、昼寝をした記憶が印象的に残っています。
今も夜は窓を開けていますが、車の騒音でテレビの音声も聞こえにくい環境には苦痛を感じます。母は空調冷房が、より体調を悪くするらしく、暑いのに我慢しています。エコハウス建築家の私なんだから、何とかしてあげたいとも思うし、今の事務所のように放射冷房にしてあげれば体調は改善するだろうとはわかってはいるのですが、建てて10年経っていない家(1年目の火災では余儀なく大規模修繕をさせられましたが)の改修は経済的に難しいのが現実で、母には我慢してもらうしかないという何とも情けない話しです。
ただ、そんなことを思うたび、一戸建てをつくってきた建築家ながら、個々の住宅で解決することが本当の解決策ではないのではないか、個人の経済状態で最低限の健康すら確保されないこの都市の環境は、計画性のない都市政策の結果であって、これは人為的につくられた公害の何ものでもないと強く感じてしまうのです。何とかせねばと、一昨年行ったクールシティの勉強会の本を、今、まとめてもらっています。ちゃんと考えて、街を創れば、私が創る小難しいエコハウスじゃなくて、もっと簡素で安価なエコハウスでも充分快適で省エネルギーで健康に暮らせるであろうと思います。ただ、それを実現するための公共投資は、成り行きのそれよりは掛かります。本来、関東大震災直後、第二次世界大戦直後、やるべきだったでしょう。その時は、目先の問題を優先しやらなかったわけです。今となれば、金がかかりすぎるからナンセンスな話しだといわれるのかも知れません。でも、どこかで無秩序の歯止めをかけて、やり直さなければ、もっとお金がかかってくるわけです。前向きに考えれば、今で良かったともいえます。地球温暖化なんていう今日的な環境問題もでてきたわけです。戦後間もなくでは考えられなかったITの進化もありました。まさか少子高齢化が問題となるとは思ってもいなかったでしょうから、福祉の考え方も当時と今とでは大幅に違うでしょう。生活水準も一定レベルに達しています。今、あるべき姿を考えて実施すれば、半永久的に使いやすい都市、インフラになるであろうと思われます。やっと投資する時期がきたわけです。今までは勉強代と仮設費用と考えれば良いわけです。

これだけ、経済的にも豊かになり、教育水準も上がっているのだから、幸せとは何なのか、どのような未来を望むのか、冷静に議論し、あるべき姿の未来像を具体的に描いて、バックキャスティングで環境整備を行っていく時期なのではないかと思います。天下取り競争も人間の本能なのかも知れませんが、今は協働、協力なくして、富国も幸国も無いという気がします。
貿易黒字の大幅減。我々は井の中の蛙となってやしないでしょうか?